香椎宮の御神幸の歴史は、伝えによると天平年間まで遡ると言う。中世に廃絶になり途絶えていたが、平成九年三月二十三日発行の香椎宮史、広渡正利氏著によると明治六年十月二十九日、香椎宮神幸を再興した。二十九日は雨天につき神幸延引、祭典はこれを執行した。区長久野寂也、正・副戸長は正服に参向、午前十一時流鏑馬、村民獅子楽を奏し、筥崎浦の者は楽を奉納した。神幸は、三十日午後二時御發輦、浜男の頓宮にて神事、暫く神輿を奉安し、献饌・奏楽を終えて、志賀島 白水郎風俗舞を奏す。午後七時御遷幸、正殿に奉遷祭典を行った。三十一日は、旧例により、原上村川上神社に権宮司杉岡真蔭・禰宜倉八隣が参向、御饌七台白張の者がこれを舁き随行献備した。と記載されている。又当時の御神幸は、上級神官は騎馬にて御神幸、その他の神官は共揃いの行列や駕輿丁に奉坦されていた模様。
他の資料昭和二十八年二月十一日発行の香椎町誌によると御神幸は往昔、陰歴九月九日、産土祭の一行事として行われたが、今は四月十七日に隔年、古来の式に則って本宮から約一粁の海浜頓宮まで行われる。翌十八日には立花村大字原上に神使を遣わし神饌を供え、又、和白村三苫の綿津見神社までに神輿渡御のことになっていたが今は廃されている。御神幸の供揃いや其他式典は、現時よりも荘重に行われていたと考えられるが、その詳細は不明であると記されてある。現在の御神幸は四月十七日に近い土・日で行われている。
尚、香椎町誌によれば、御神幸行列供揃には往昔から伝統的な家があるようで、今一例として御神輿奉坦の家は、其祖旧社人の家の人々と思われる。