軍艦香椎顕彰碑
軍艦香椎は、練習巡洋艦として姉妹艦香取、鹿島に次いて昭和十五年七月十五日、三菱重工横浜造船所にて竣工した。初代艦長岩渕三次大佐・香椎宮に詣で、御分身を請願され、守護神として奉載し就役す。既に時局は急を告げ、旗艦として直ちに南部仏印に進駐の陸軍部隊を護衛し、サイゴンに進出す。大東亜戦争開始に当り、我が国の運命を屠して敢行せる 山下奉文将軍麾下第二十五軍の大部隊の船団を護衛し タイ国シンゴラ コタバル等の上陸作戦を支援し、シンガポール攻略の端緒を開く。以後全作戦の支援を主任務とし、南支那海は勿論西は印度洋、東は遠くラバウルに至る広大なる海域を、総航程一万五千浬に及ぶ作戦行動に従事す。
昭和二十年一月十二日、第一〇一戦隊の旗艦として、航空燃料などの強行輸送船団を護衛し航行中、仏印キノン沖で、敵機動艦隊の艦載機延三〇〇有余の執拗な攻撃を受け、克く奮戦激闘したが、被害累積し十隻の船団悉く撃沈され、「最後に香椎は魚雷二本、中部及び後部に命中」艦は一瞬にして棒立ちとなるも、機銃は尚も応戦、司令官渋谷紫郎 少将 艦長松村翠大佐以下死闘後遂に力尽きて、艦と運命を共にせし者 便乗者を含め一千余名、生存者は兵員僅か十七名に過ぎず。その死しても止まざる殉国の気魂は、米軍をして心胆を寒からしめ、深く感銘を与え敢えて戦史の記録に持筆せしむ。
想うに、かくの如き勇猛果敢にして従容として死地に赴いた崇高なる精神は光栄ある我が海軍の精華にして永く歴史に躍動するであろう。
ここに、軍艦香椎の顕彰の碑を建立し艦と共に短い生涯を閉じた英霊の勇戦労苦を偲ひ、祖国日本の興隆を祈念する。
昭和 五十六年 五月 十日
軍艦香椎会