神功皇后は凱旋後、宇美にて皇子、後の八幡大明神・15代応神天皇様(誉田別命ホムタワケノミコト)をお産みになられます。八幡信仰は、後に源氏の氏神・戦神として全国広く信仰されるわけですが、そのため当宮は八幡様の親神様といわれております。
また当宮は古くは「香椎廟」と呼ばれ、朝廷より特別な待遇を受けておりました。そのため、延喜式神名帳には記載されておりません。正式に「香椎宮」となったのは明治以後でございます。
本朝四所 伊勢神宮 石清水八幡宮 香椎宮 気比神宮
また、「続日本紀」天平九年(737)夏四月乙巳朔条に「使を伊勢神宮・大神社・筑紫の住吉・八幡二社(宇佐)・及び香椎宮に遣わし、幣を奉り新羅無礼の状を告げしむ」とある。
当初、当宮は現在の古宮に仲哀天皇・現在の本殿の地に神功皇后をお祭りしていたのですが、大正4年11月10日より、この本殿にて仲哀天皇・神功皇后を主祭神として、皇子の八幡様・応神天皇・新羅遠征にご功績あった住吉大神を併せ祀っています。