神功皇后が三韓より御帰還され剣・鉾・杖の三種の宝を埋め、そこに鎧の袖に挿していた杉枝を「永遠に本朝を鎮護すべし」と祈りを込め埋められたものです。葉が綾の様に交互に生えているので綾杉といわれ、国家鎮護の象徴として古来よりその杉葉を宮中に献上しています。
本殿は724年に建立され、1801年に第十代福岡藩主黒田斉清(長頼)により再建された「香椎造」という名の日本唯一の建築様式です。入母屋造平入に切妻屋根が複雑に連結し、正面の大千鳥破風、左右の車寄せなど、変化に富んだ造りとなっています。
仲哀天皇が国家鎮護の拠点とした橿日宮の跡地。かつては香椎廟と呼ばれ、地名となった御神木「香椎」は今もここに残ります。
この泉の水を汲み仲哀天皇・神功皇后の食事と酒を調えた家臣、武内宿禰は三百余歳の長寿を保ち得たと伝えられます。
天皇の使者のための道であることから勅使道と呼ばれ、2年に一度の神幸式も斎行される、楠木の景観が美しい参道です。
重層の桧皮葺総欅白木造で明治36年追遠会事業により再建されました。左右の筋塀は寺社の最高位を示す五本筋となっています。
勅使参向の際に参籠潔斎されるための建物です。江戸期までは大宮司家・武内屋敷を斎館としていました。
池の中之島、辨財天社の市杵嶋姫命は財運・開運招福・芸能上達の御神徳があると伝えられます。花しょうぶの見頃は6月上旬です。
2年に一度の神幸式で御神輿行列が立ち寄る頓宮です。万葉歌碑には大伴旅人等が香椎潟を詠んだ和歌が刻まれています。
勅使、太宰帥の参拝儀式の順序場所の貴重な標石です。御休息所・御手水所・御祓所・御脱剣所・衛士居所の五つが示されています。
神功皇后由来の聖地で綿津見神をお祀りする末社・御島神社が鎮座する香椎浜。毎年旧暦8月15日には現地で例祭が斎行されます。
稲荷神社は五穀豊穣・商売繁盛・殖産興業、鶏石神社は修理固成(しゅりこせい)・五徳向上・養鶏・育児夜泣きの御神徳があるとされます。
仲哀天皇・神功皇后に仕えた五大臣筆頭の大臣武内宿禰命(おおおみたけうちすくねのみこと)をお祀りし、健康長寿・病気平癒・知恵向上・学業成就の御神徳があるとされます。
仲哀天皇・神功皇后に仕えた五大臣の中臣烏賊津大連命(なかとみのいかつおおむらじのみこと)をお祀りし、勝負運向上 武芸上達の御神徳があるとされます。
海荒れて御島神社参詣が困難な折、神功皇后はここから御島神社を遙拝(ようはい)していたと伝わります。御祭神は綿津見神であろうといわれます。
武内大臣の御子であり、本郷氏の祖神である羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)をお祀りします。例祭日は7月24日です。
応神天皇の御子、大鷦鷯天皇(おおさぎさのすめらみこと)(仁徳天皇)をお祀りします。例祭日は3月1日です。
武内大臣の御子であり、石川氏の祖神である蘇我石川宿禰(そがのいしかはのすくね)をお祀りします。例祭日は7月23日です。
香椎廟の廟司であり香椎武内家の始祖である大膳紀宿禰氏連命(おおかしわできのすくねうじつらのみこと)をお祀りします。例祭日は7月24日です。
御田氏の氏神、大伴武以大連(おほとものたけもつのおほむらじ)に清原氏の祖神、清原眞人氏貞(きよはらのまひとうじさだ)を合祀したお社です。例祭日は7月16日です。