「天平神護元年十一月、勅使を差して重祚を告げ玉ふ。膳武忠上洛して恒例の綾杉を献ず。」 -香椎宮編年記- 稱德天皇重祚の御奉告でありますが、その答礼の上洛に際し、綾杉を献じ、このことが、既に恒例になってゐたことを示しております。
「養老七年二月六日託宣あって曰く『昔年、我、足仲彦天皇の神明を安置する香椎の古宮のほとりに於て、三種の神器を埋め、其上に植うるに鎧の袖に挿せる杉を以てして誓って曰く、・・・・・・』」 -香椎編年記- 「養老七年十二月二十八日託宣あって曰く『一天のもと杉は吾が寶倉なり。其の故は、万樹多しと云へども、杉は直木の故なり。正直の人の首と杉の梢とは此れ吾が寶倉なり。』こゝに於て、綾杉を栽補して神木とす。朝家宝祚に登り玉ふ時は、此の枝を献ぜり。」
-香椎宮編年記-
これは、綾杉の神秘な所以を知る貴重な伝承であります。なほ、その形状については
「其の葉つき、あやしく、世の常の杉と異にして、綾の紋を織れる如くなれば綾杉といふ。」
-貝原益軒-