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1月1日の朝のことを元旦、歳旦などと云い、元日早朝に斎行されます。新年を祝い、皇室の弥栄と五穀を始め食物の豊作、万国の隆昌と万民の平安をお祈りする年の初めのお祭です。
1月15日夕方斎行の火祭です。古いお守りやお札、門松やしめ飾り、書き初めなどを積みあげ燃やします。灰を庭などにまくとその年の病除になるといわれ、持ち帰ることが出来ます。
豆撒きをして鬼を祓い福を招く神事です。年男・年女の方々の厄除祈願祭も合わせ斎行されます。福を頂こうと多くの子ども連れで賑わいます。
伏見稲荷神社では稲荷大神が稲荷山の三ヶ峰に初めて御鎮座なされた2月初午の日に初午大祭が斎行されます。これに合わせて当宮の稲荷神社でも初午祭が斎行されます。
五穀を始め食物の豊作とあらゆる産業の発展、人々の安泰と繁栄を祈願する祭です。としごいの祭とも云われ、伊勢の神宮を始め全国の神社で斎行されます。
御祭神の保食大神(うけもちおおかみ)に五穀豊穣と産業発展を祈り斎行されます。
仲哀天皇の正命日(旧暦)のお祭で、今は仲哀天皇・神功皇后御夫婦をお祀する本殿で斎行されます。
秋季と対をなす、毎年行われる地域の方々との賑やかな神事です。神幸式(じんこうしき)は二年毎に行われ、3基の神輿と着飾った多くの方々が参道を勇壮に練り歩きます。
明治36年「遠き古の盛時に追いつかん」とする理念をもって結成された追遠会の大造営によって中門・回廊・楼門が再建されました。これを記念してこの偉業への感謝の祈りとともに斎行されます。
昭和20年1月20日仏印キノン沖に沈没した練習巡洋艦「香椎」にて戦死なされた一千余名の御霊の慰霊祭が斎行されます。
『古事記』仲哀天皇の段が初出で香椎発祥の全国の神社で斎行される神事です。6月30日と12月31日に斎行され、知らず知らずのうちに身についた罪や穢れを人の形に切った和紙「人形(ひとがた)」などに移して除きます。どなたでも参加可能です。事前に人形に罪穢れを移して預けることも出来ます。
毎年、中秋の名月である旧暦8月15日に香椎浜内の境内地である御島にて斎行されます。
養鶏関係者や卵を使う菓子業者、鶏料理屋など、鶏に関わる生業の方々の感謝の祈りとともに斎行されます。
春季と対をなす、毎年行われる地域の方々との賑やかな神事です。流鏑馬の射手が狙った的は縁起物として頂くことも出来ます。力強く走る馬の姿を一目見ようと馬場は多くの参拝者で賑わいます。
宮中(天皇陛下)御献納の神饌幣帛料を捧げ、平和と幸福を祈る最も重大な神事です。10月29日に斎行されます。
新穀感謝祭とも云われ、宮中に於いて天皇陛下御自ら新穀を天照大御神はじめ神々に供えられ、国家、国民の平和と繁栄をお祈りになり、これを御食しになるお祭が斎行されます。また、伊勢の神宮を始め全国の神社で斎行されます。この日を勤労感謝の日として祝うのはこの精神に基づくものです。
仲哀天皇の命日(旧暦)のお祭で、今は仲哀天皇・神功皇后御夫婦をお祀する本殿で斎行されます。
青竹を手に、一年間の煤を落とし祓う年の瀬の神事です。
『古事記』仲哀天皇の段が初出で香椎発祥の全国の神社で斎行される神事です。6月30日と12月31日に斎行され、知らず知らずのうちに身についた罪や穢れを人の形に切った和紙「人形(ひとがた)」などに移して除きます。どなたでも参加可能です。事前に人形に罪穢れを移して預けることも出来ます。
『香椎宮の御神幸の歴史は、伝えによると天平年間まで遡ると言う。中世に廃絶になり途絶えていたが、平成9年3月23日発行の香椎宮史、広渡正利氏著によると明治6年10月29日、香椎宮神幸を再興した。
29日は雨天につき神幸延引、祭典はこれを執行した。区長久野寂也、正・副戸長は正服に参向、午前11時流鏑馬、村民獅子楽を奏し、筥崎浦の者は楽を奉納した。
神幸は、30日午後2時御發輦、浜男の頓宮にて神事、暫く神輿を奉安し、献饌・奏楽を終えて、志賀島 白水郎風俗舞を奏す。
午後7時御遷幸、正殿に奉遷祭典を行った。31日は、旧例により、原上村川上神社に権宮司杉岡真蔭・禰宜倉八隣が参向、御饌7台白張の者がこれを舁き随行献備した。
と記載されている。又当時の御神幸は、上級神官は騎馬にて御神幸、その他の神官は共揃いの行列や駕輿丁に奉坦されていた模様。
他の資料昭和28年2月11日発行の香椎町誌によると御神幸は往昔、陰歴9月9日、産土祭の一行事として行われたが、今は4月17日に隔年、古来の式に則って本宮から約一粁の海浜頓宮まで行われる。翌18日には立花村大字原上に神使を遣わし神饌を供え、又、和白村三苫の綿津見神社までに神輿渡御のことになっていたが今は廃されている。御神幸の供揃いや其他式典は、現時よりも荘重に行われていたと考えられるが、その詳細は不明であると記されてある。現在の御神幸は4月17日に近い土・日で行われている。
尚、香椎町誌によれば、御神幸行列供揃には往昔から伝統的な家があるようで、今一例として御神輿奉坦の家は、其祖旧社人の家の人々と思われる。』
県無形文化財指定の獅子楽。赤と緑の雌雄2頭の獅子が笛太鼓にあわせて、きらびやかに格調高く勇壮に舞います。決して獅子舞とは言わず、雅楽のひとつとして伝承されています。
『香椎宮奉納獅子楽は、香椎宮の氏子で構成する獅子楽社が、毎年、4月17日と10月17日(に近い日曜日)の春秋の香椎宮大祭に奉納している獅子舞です。起源は、香椎宮続編年記草稿及び遺物などの香椎宮の記録によると、延享元年(1744年)勅使参向の年に廃絶していた旧来の祭祀を復興、2月6日、4月17日、9月9日、11月6日の祭日に獅子楽を奏した旨の記載が見え、現在使用している大太鼓の内面にも寛政10年(1798年)午ノ2月吉日の墨書銘があり、江戸中期からの存在が認められております。伝承では嘉穂郡大分八幡宮の獅子舞(享保9年1724年に石清水八幡宮で習得したと伝える)から伝授されたと言い、反対に香椎から大分八幡宮に伝えたとも言われているが、いずれも確証はないようです。
福岡県内に伝承する獅子舞は、魔祓いの獅子舞の系統と大陸から入ってきた技楽系のものに分類されています。例えば、前者が甘木市に伝承する蜷城の獅子舞、後者は嘉穂郡筑穂町の大分の獅子舞などがあります。香椎宮の獅子楽は形式的には後者であるが、太神楽とよばれる芸能(東海地方の芸人たちより全国各地に伝えられ、曲芸や滑稽な神楽、獅子舞を伝えた。)に少なからず影響を与えており、太神楽系であるとされています。
獅子楽の構成は、2人立ち雌雄2頭の獅子舞と大太鼓、小太鼓、笛、銅拍子の囃子方から成り、演目は、デハ(序) ナカノキリ(破) キリ(急)の三通り、三段階の舞があります。年齢構成は、子供組、若者組と若者組を上がったものに分かれて来たが、現在もほぼそれに準じています。
芸態は、大太鼓(1個)は子供の役で6人が交替しながら踊るような仕草で打つもの、笛と銅拍子(1個)は若者の役で、笛は10人が楽の段階に応じて吹き分けます。獅子舞はもっとも元気な若者の役で12人が4人ずつ(1頭に2人)楽の段階ごとに3度交替して舞います。小太鼓(1個)は楽全体をリードする大切な役だけに、獅子を上がった25歳以上の最も熟練した者がつとめ、1人で打ち続ける場合もあります。
服装は、獅子役が襦袢、股引、白足袋、草鞋、襦袢は生まれた時の宮詣り着物を仕立て直したものと決まっていました。楽人は裃、白足袋、草鞋ということになっていたが、現在は裃を着用しなくなっています。獅子楽の奉納は、昔は祭典の日に本宮・古宮・弁財天の3ヶ所で舞われていたというが今では古宮への奉納がなくなり、弁財天前も10月の大祭の日に奉納されています。4月の神幸祭は、隔年、筥崎宮御神幸のない年の17日・18日両日(現在は17日に近い土日)に行われています。
獅子楽は遷幸(お下り)の時に本宮で出立ちの獅子を奉納、道中は「天下泰平國家安全萬民豊楽」と記した旗を持つ先祓を先頭に道囃子を奏しながら頓宮まで下り、そこで御着きの囃子を舞い、遷幸(お上り)の時は前日とは逆に頓宮で出立ち、本宮で御着きの獅子が奉納されています。10月中旬、日曜日の氏子大祭は“おくんち”とも呼ばれ、この時にも本宮で獅子が奉納されます。』
香椎宮の御祭神神功皇后は三韓征伐御出陣の折、初めて自ら桧扇を作り海の中道吹上浜にて舞楽を奏し海中より阿曇磯良(志賀の神様)を召し寄せられ海の道案内として三韓征伐を完遂し給ひ、此の時の舞楽が志賀島に伝はりて香椎廟の大祭には志賀の白水郎男十人女十人風俗舞を奏し其の衣冠は太政官が奉献していたことが正史並びに香椎宮の社記に記されています。又、吹上浜で桧扇をかざして八人の乙女が奏した舞は今日尚志賀海神社の八乙女舞として大祭毎に舞っています。
誠に香椎宮の御祭神神功皇后は、斯の道の大祖神と申し上げるべきでしょう。又、この三韓征伐により導入された大陸文化の中の舞楽も香椎宮が天平宝字三年(759)八座を定めた時に眞舞座(乙女舞)右楽所伶人(高麗舞二巴)左楽所伶人(唐楽伎楽ともいふ三巴)の座を設けて神職の伶人舞人が居り祭毎に盛大に舞楽を奏していました。
香椎宮の獅子楽が、他の神社が獅子舞といっているのに対し獅子楽と申しますのは、上記楽所の楽が残っているものであります。
此の楽所は、惜しい事に天正十四年(1586)7月25日、薩摩軍の兵災に罹り神殿祠官坊中一切灰燼に帰し豊臣秀吉により一切の神領は没収され神人も四散した為、氏子が之を引き継ぎ香椎奏楽社・八田奏楽社・下原奏楽社の三つの社中が古式の雅楽を保存して参りました。この三座の楽人は皆鳥兜を冠り装束を着し往時の俤を其の儘残しており、他社にはその例がありません。
終戦後、香椎宮雅楽も次第に衰えて参り、この香椎宮古式の雅楽を新興永代保存普及及び発展を図るため、昭和46年1月16日『香椎宮雅楽保存会』を結成し、また平成17年には『香椎宮太神楽』も復活させ現在に至っております。古典雅楽の伝承、並びに香椎宮御神徳の発揚を願い、これからも稽古に励みたいと職員また保存会メンバー頑張っております。
保存会では、新規会員(鳳笙・篳篥・龍笛)を募集しております。
ある程度演奏出来るようになりましたら、香椎宮での祭典奉仕、または演奏会(雅楽・香椎宮大神楽等)で御披露頂きます。
練習は、月に2回程度あり、毎月6日(仲哀天皇様の月命日)・17日(神功皇后様の月命日)の17時から19時まで、香椎宮社務所にて行います。
会費:月額千円 入会金:五千円
入会ご希望の方は、香椎宮雅楽担当の栗原権禰宜まで、ご連絡下さい。